一
日本文學が、出發點からして既に、今ある儘の本質と目的とを持つて居たと考へるのは、單純な空想である。其ばかりか、極微かな文學意識が含まれて居たと見る事さへ、眞實を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一樣式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文學の規範に入つて來たに過ぎないのである。
似た事は、文章の形式の上にもある。散文が、權威ある表現の力を持つて來る時代は、遙かに遲れて居る。散文は、口の上の語としては、使ひ馴らされて居ても、對話以外に、文章として存在の理由がなかつた。記憶の方便と云ふ、大事な要件に不足があつた爲である。記録に憑ることの出來ぬ古代の文章が、散文の形をとるのは、時間的持續を考へない、當座用の日常會話の場合だけである。繰り返しの必要のない文章に限られて居た。ところが、古代生活に見えた文章の、繰り返しに憑つて、成文と同じ效果を持つたものが多いのは、事實である。律文を保存し、發達させた力は、此處にある。けれども、其は單に要求だけであつた。律文發生の原動力と言ふ事は出來ぬ。もつと自然な動機が、律文の發生を促したのである。私は、其を「かみごと」(神語)にあると信じて居る。
今一つ、似た問題がある。抒情詩・敍事詩成立の前後に就てゞある。合理論者は抒情詩の前出を主張する。異性の注意を惹く爲とする、極めて自然らしい戀愛動機説である。此考へは、雌雄の色や聲と同じ樣に、詩歌を見て居る。純生理的に、又、原始的に考へる常識論である。其上、發生時に於て既に、ある文學としての目的があつたらしく考へるからの間違ひである。律文の形式が、さうした目的に適する樣に、ある進歩を經てから出來て來た目的を、あまり先天的のものに見たのだ。
わが國にくり返された口頭の文章の最初は、敍事詩であつたのである。日本民族の間に、國家意識の明らかになりかけた飛鳥朝の頃には、早、萬葉に表れたゞけの律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た樣に見える。我々の祖先の生活が、此國土の上にはじまつて以後に、なり立つた生活樣式のみが、記・紀其他の文獻に登録せられて居るとする考へは、誰しも持ち易い事であるが、此は非常に用心がいる。此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へが、まじつて居る事は、勿論であらう。
併し、此點の推論は、全くの蓋然の上に立つのであるから、嚴重にすればする程、科學的な態度に似て、實は却つて、空想のわり込む虞れがある。だから、ある點まで傳説を認めておいて、文獻の溯れる限りの古い形と、其から飛躍する推理とを、まづ定めて見よう。
其うちで、ある樣式は、今ある文獻を超越して、何時・何處で、何種族がはじめて、さうして其を持ち傳へたのだと言ふ樣な第二の蓋然も立てられるのである。さうなつた上で、古代生活の中に、眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來との交錯状態が、はつきりして來るのである。
文章も亦、事情を一つにして居る。敍事詩の發達に就て、焦點を据ゑねばならぬのは、人稱の問題である。
土居光知氏は、日本文學の人稱問題の發達に、始めて注意を向けた方である。氏と立ち場は別にして居るが、此事は、言ひ添へて置きたい。
日本紀の一部分と、古事記の中、語部(カタリベ)の口うつしに近い箇所は、敍事として自然な描寫法と思はれる三人稱に從うて居る。時々は、一人稱であるべき抒情部分にすら、三人稱の立ち場からの物言ひをまじへて居る。「八千矛ノ神と妻妾との間の唱和」などが其である。此は、敍事詩としてのある程度の進歩を經ると、起り勝ちの錯亂である。ところが間々、文章の地層に、意義の無理解から、傳誦せられ、記録せられした時代々々の、人稱飜譯に洩れた一人稱描寫の化石の、包含せられて居る事がある。
一人稱式に發想する敍事詩は、神の獨り言である。神、人に憑(カヽ)つて、自身の來歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。皆、巫覡の恍惚時の空想には過ぎない。併し、種族の意向の上に立つての空想である。而も種族の記憶の下積みが、突然復活する事もあつた事は、勿論である。其等の「本縁」を語る文章は、勿論、巫覡の口を衝いて出る口語文である。さうして其口は十分な律文要素が加つて居た。全體、狂亂時・變態時の心理の表現は、左右相稱を保ちながら進む、生活の根本拍子が急迫するからの、律動なのである。神憑りの際の動作を、正氣で居ても繰り返す所から、舞踊は生れて來る。此際、神の物語る話は、日常の語とは、樣子の變つたものである。神自身から見た一元描寫であるから、不自然でも不完全でもあるが、とにかくに發想は一人稱に依る樣になる。
昂ぶつた内律の現れとして、疊語・對句・文意轉換などが盛んに行はれる。かうして形をとつて來る口語文は、一時的のものではある。併し、律文であり、敍事詩である事は、疑ふ事が出來ない。此神の自敍傳は、臨時のものとして、過ぎ去る種類のものもあらう。が、種族生活に交渉深いものは、屡くり返されて居る中に固定して來る。此敍事詩の主なものが、傳誦せられる間に、無意識の修辭が加る。口拍子から來る記憶の錯亂もまじる。併しながら、「神語」としては、段々完成して來るのである。
文章としての律要素よりも、聲樂としての律要素の方が、實は此「神語」の上に、深くはたらきかけて居た。律語の體をなさぬ文も、語る上には曲節をつける事が出來る。此曲節に乘つて、幾種類もあつた「神語」が巫覡の口に傳つて、其相當の祭り・儀式などに、常例として使はれて來た。つまりは、團體生活が熟して來て、臨時よりも、習慣を重んずる事になつたからなのだ。
郡ほどの大きさの國、邑と言うてもよい位の國々が、國造・縣主の祖先に保たれて居た。上代の邑落生活には、邑の意識はあつても、國家を考へる事がなかつた。邑自身が國家で、邑の集團として國家を思うても見なかつた。隣りあふ邑と邑とが利害相容れぬ異族であつた。其と同時に、同族ながら邑を異にする反撥心が、分岐前の歴史を忘れさせた事もあらう。
かう言ふ邑々の併合の最初に現れた事實は、信仰の習合、宗教の合理的統一である。邑々の間に嚴に守られた祕密の信仰の上に、靈驗あらたなる異族の神は、次第に、而も自然に、邑落生活の根柢を易へて行つたのである。飛鳥朝以前既に、太陽を祀る邑の信仰・祭儀などが、段々邑々を一色に整へて行つたであらう。邑落生活には、古くからの神を保つと共に、新に出現する神を仰ぐ心が深かつたのである。
單に太陽神を持つて居た邑ばかりでなく、他の邑々でも、てんでに發生した事實もあらうが、多くはかうして授けられたらうと思はれる一つの樣式として、語部(カタリベ)と言ふ職業團體――かきべ――が、段々成立して行つた。
神憑(ガヽ)りの時々語られた神語の、種族生活に印象の深いものを語り傳へて居る中に、其傳誦の職が、巫覡の間に分化して來た。さうして世襲職として、奉仕には漸く遠ざかり、詞句の諳誦と曲節の熟練との上に、其が深くなつて行つたものと思はれる。
語部の話は、私の研究の筋を辿つて、雜誌「思想」(大正十三年一月)に公にせられた横山重氏の論文がある。私の持つて居る考へ方は、緻密に傳へられて居る。それを推擧して、私は唯概念を綴る。
以上青空文庫より引用。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card43764.html)
本が届くまでの間、こういったもんをテクストにしますか~。いかが?
27 件のコメント:
よかですね。当面これでいきませう。
とりあえず第1段・第2段のレジュメ的なものを作ってみました。読みづらい点、多々あるかとは思うけど、とりあえずの叩き台になればええかな、と。
>>この論文を厳密に注釈化することが、
とても良い折口勉強法となるだろう。
ということで細かくいってみました。
ガイドラインみたいなメタ記事作ろうか。
それとも次第に修正されるかしらん。
第1段 日本文学の出発点
文学の出発点に、現在のような本質と目的、あるいは文学意識は含まれていなかった。
↓
もとは「古代生活の一様式」として、別の原因から出たものが変化し、偶然にして(現在で言うところの)「文学の規範」に入ってきたに過ぎない。
※ そもそも出発点って、具体的に言って、だいたいいつ頃
のことなんでしょう。
※ と思って、日本最古の文章を調べてみると、江田船山
古墳が日本最古の古墳とされていて、そこで見つかった
太刀に75文字の銘文があるそうです。これがだいたい
450年~550年頃。それから、隅田八幡神社鏡の銘文の
成立が383年、443年、503年と諸説あるとのこと。
※ ちなみに古事記は和銅5年(712年)です。
※ 成立ということになると、これよりも時代は遡るでしょ
うね。とりあえず内容については桶でしょうか。
第2段 形式について
似た事が形式の上にもある。
※「似た事」=「遠い原因から出たものが、次第に目的を展
開し、偶然にして、現在の形になった事」
文学の発生当時、散文には現在のような権威性はなく、専ら口の上の語として用いられていた。
↑
「記憶の方便」が不足していたから。
※「記憶の方便」=「記憶するための便宜的方法」=筆記具
ということは、散文形式の文章は繰り返しの必要のない文章に限られる筈。
→しかし、当時の文章には繰り返しによって成文と同じ効果
を持たせたものが多い。
※「憑」=ヒョウ・つく・よる・たのむ
※「成文」って何なんかしら?
このこと(繰り返しという形式)によって、律文は保存され、発達した。
→しかし、これは単に(繰り返しと言う形式による)・(律文を
保存し、発達させるという)要求であり、律文発生の原動
力は別にある。
※「律文」=「韻律構造を持つ文章」
その原動力は「かみごと」(神語)にあるだろう。←後段参照
現代表記された文章をネットで見つけました。
http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/shida/2005-04-20/kokubun.html
人稱(人称)が読めませんでした。どうでも良いけど、なんか悔しい。
今後、引用するときは、現代表記の方が良いんかね。やっぱり、読みやすいのは現代表記なんやけど、時代の雰囲気を少しでも感じるって意味では、旧字でも良いかなぁ、って思ったりする。実利をとるか否か。
でも、やっぱり、旧字体って魅力よね。
本文に対するコメントは、後で書きます。取り急ぎ。
レジュメおつ。
とりあえず↓
http://www11.axfc.net/uploader/20/so/He_80043.xls.html
ここでの議論を続けると、わけ分からなくなるかも、と思い、エクセルでまとめてみました。取り急ぎ、なんで、形式は適当です。より良い形に直しつつ議論を進めましょう。実際、このファイルが書簡の役目ですね。
えー、ここもルールですが、とりあえず、ファイルの内容を書き換えるのは、ここで発言した内容のみ、としましょう。いつの間にか、知らぬところで議論がずれる、ってことを防ぐため。
とりあえず、途中(イタリックになるところあたり)まで読んで、ふと思ったことを書いておきます。
一段落
日本文学の出発点とは?そもそも文学とは?
二段落
文字はもともと言葉とは違かった。(言葉は、口から発せられる音素の連なり、という解釈)古代において、文字、言葉はともに聖なる存在。現代のように、文字は声の表記ではなかった。時代と共に、言葉は音として、その表音性を用いられるように変化した。文体も、散文のような口語的な文章が用いられるようになるのは、時代の変化を伴っているのでは。
律文…韻律のある文
成文(せいぶん)…文章に書き表すこと。また、その文章。
三段落
抒情詩…作者自身の感動や情緒を表現する形式をとった韻文の作品。近代では詩の主流。
叙事詩…多くは民族その他の社会集団の歴史的事件、特に英雄の事跡を叙述する韻文の作品。
wikiから「叙事詩」…口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。古事記、日本書紀はほぼこの形式。平家物語もこの類のもの。
抒情詩・叙事詩の前後の問題は、言葉が使うものか、授かるものかの認識の違いがあるのではなかろうか。道具としての言葉の使い方ではなく、魂のこもった神仏としての言葉。
この文章で語られる「文学」とは、作者の感動や情緒のことを言っているのではないか?(6節、文学としての目的が~)
四段落
国家意識というものは、どこまで広がっていたか疑問。
万葉集…仁徳天皇皇后の歌といわれるものから淳仁天皇時代の歌(759年)まで約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合せて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録
六段落
蓋然…多分そうだろうと考えられること。可能性によってのみ示される判断。
七段落
根生い…その土地に生まれてそだつこと。うまれつき。
といった感じ。とりあえず鳥瞰するため、さーっと読みました。だもんで、二段落目までのレジュメで少し吃驚!
いやいや、軽率な行動、すみません。とりあえず、論議は二段落目までとして、後のことは、ほっておきましょう。
akira氏のコメントを云々したいが、ちょっち小休止。ごめんなさい。
なんとなく、ぼくも、文学の出発点は、慎重に考えるべきだと思う。文字が形成された点か、文章を構成できるようになった点か、文章の中に人間性が芽生え始めた点か。色々な出発点としての可能性が考えられると思うんです。
あと、「似た事」っていうのは、日本文学が出発点から、今ある本質と目的を持っていたと考える単純な考えを持たれているのと似ていて、文章の形式も、もっと自然な動機がその発生を促したのではないか?、っていうことだと思いました。日本文学も文章の形成もお互いに誤解されてるところが似てるね、ってことかなぁ、と。
取り急ぎコメント。すんません。
うわー、ここ、勝手にリンクされねーんだね。まんどくせー。
国文学の発生(現代表記ver)
往復書簡
取敢えずリンクタグ↓
<a href="リンク先のURL">リンクタグTOP</a>
使ってね。なんか、使えるタグ集みたいな記事投稿しときます?
幾度となく投稿すんません。
往復書簡のパスはorigutiです。
そんで、リンクは、右クリ→新しいウィンドウで開く推奨です。よろしゅう
うわ、エクセル開けない orz
早めに対策打ちますんでちょいとお待ちを。
エクセルをあいだに挟むのはええ考えっすね。
作成乙です。
ちょいとメタ話につきまして。
>>旧字体って魅力よね。
ですよね~。これについては読んでくうちに、慣れてくるんやないかなあと思います。そやけど言うとおり実利が一番大事やし、もし、ややこしい!ってなったらいつでも言うてね。
>>ファイルの内容を書き換えるのは、ここで発言した内容のみ、としましょう。
了解っす( '-')ゞ
>>とりあえず、論議は二段落目までとして、後のことは、ほっておきましょう。
同じく了解っす( '-')ゞ
あと、リンクタグ㌧クス!他に使えそうなタグってのがイメージつかんという情けなさ。これ使えるってのがあったら教えてね。
suganuma氏はネット上での良い議論モデルを把握してそうだから心強いです。
あ、Amazonから本が届いたよ。本の方も第1稿・第2稿…とありました。青空と同じみたいやね。でね、おもしろいのがその構成で、第3稿・第1稿・第2稿・第4稿の順番なんよ~。それぞれどういう扱いなんやろね。
そしたら内容につきまして。
第2段落の解釈、きれいですね。目から鱗っす。僕の解釈がよくわからんもんになっとったのは、完全に文章=言葉で考えてたからですね。これって音声中心主義って言われる解釈やけど、やっぱり先入観は自分では気付かんもんやね。前提抜かすは混乱の元。肝に銘じておきまする。
それで、前提洗い出そうと考えてみて疑問に思った事ね。日本人が文字を受容したことについて、僕が馴染んでるイメージは、「そもそも古代日本には文字文化がなくて、中国から漢字を輸入して、そこに日本お得意の折衷的工夫が加えられて、万葉仮名ができてっていうプロセス」が初期にあったっていうイメージね。
このイメージと第2段が自分の中でどうにも結びつかんのよ。テクストに忠実に行くと、散文は記録の対象ではないみたいやけど、それじゃあ、日本における文字の始めに万葉仮名っていう表音文字があったのは、どういうことなんやろって思います。
万葉仮名は何を記すためのもんやったんやろ?
suganumaさん、この点どない思われますか?
あと細かい話、
>>成文(せいぶん)…文章に書き表すこと。また、その文章。
この意味やとすると、同じ段落で「文章」と「成文」って言葉があるのは、
文章…(広く)書き言葉と話し言葉の総称。
成文…文章の内、書かれた形式のもの。
っていう理解でええんかな?
細かいとこなんやけど、なんか大事な気がするんよ。
とりあえず文字の形成についてのぼくのイメージね。というか、白川静の「漢字」を読んだときのうろ覚えなんやけど。
もともと、声そのものも神聖なもの(多分、儀式的なもの)としてあって、文字も声の代替品として、残るものとして開発されたものかと思うんやけど、声と文字ってやっぱり、残るものと残らないものとか違いがあるから、その神聖性にも違いがあったんやろう。文字は、多分、声以上に、神から授かったもの、という認識が、古代社会(これは、日本に限らず、中国やその他の文明でもそうだと思う。)にはあったんやと思う。そんでもって、白川さんが、ヨハネ伝福音書の冒頭の「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった。」の次に、「次は文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった。」と書き足したんでしょう。(ブログを参考にしてます)
さらに、野郎から借りた網野さんの本から引用しますと(以下引用)
このような文字の普及の過程で、非常に重要な問題だと思いますのは、鎌倉時代までの文書は、見ていて非常に気持がよいというか、笠松宏至さんのことばをかりると「みやびた」ところがある。これは貴族たちのかいたものだけではなく、侍や百姓の書いた文書でもそうなのです。
ところが南北朝をこえて室町時代になりますと、文書はきわめて数が多くなるのですが、鎌倉時代以前に比べると文字に品がなくなります。しかも大変に読みづらくなる。(中略)
鎌倉時代までの人びとは、文字にたいしてある畏敬の感情をもっていたと思うので、それが文字そのものの美しさにつながっていたのだと考えられますが、そうした意識はなお生きていたとしても、文字を使う人にとって、それはきわめて実用的なものになってきた。
(以上引用、「日本の歴史をよみなおす(全)」p37-38)
ということで、ややこしくなったかも知れんが、ぼくの意見を要約します。
万葉仮名については、ぼくはよく分からんが、音声中心主義ってのは、文字と言葉の関係ではどうしても拭いきれんところはあるんやろうが、それは、思想や宗教を度外視したときの、メタ解釈やと思うんよ(もしくは、一番土台になってる無意識的な思考方法論)。仮名はどんな形式であれ表音文字なんやけど、言葉と文字の神聖性があるからこそ、道具にはならず、神仏として取り扱われていたのだろう。
結局は、文字に対して庶民にとって必要性が出来てくるのって、古代社会ではないと思うんよ。やから、文字の発生って、長を務めるひと(国王や天皇や領主とか?はたまた教祖とかね)に必要性があって、発生していったもの。
さらに、第二段落の解釈。
だからこそ、文章(文学?)の発生に近いときは、文章(文学?)・文字は長を務めるひとのものであったからこそ、日常的に扱われる散文の文章としての存在理由がなく、世代的な記憶の必要性が無かったんじゃないかな。
そんで、ぼくは、「繰り返しによって」っていうのは、民話の口承伝達的なものじゃないかな?って思った。(なんとなくね。勿論議論の余地大有り)だから、成文ってのは、繰り返し伝えられることによって、文章を成していくことだと思って、わりとすんなり受け入れられました。
とりあえず以上。ちょっと、自分の意見をがーーーっと言ったんで、体勢を立て直しましょう。長文レスすまそ。
p.s.白川さんも、網野さんも、その当時、常識を覆した考えって言われていたのに、その何十年も前に、その片鱗を折口さんが書いてるってことに驚いた。だから、「かみごと」って言葉がすんなりと入ってきたのは、快さと少しの奇妙な感じがあった。
ブリーフケースにうpしときまつた。
エクセル使わんでも良い方法を考えとこう。とりあえず、html.verを。
タグについては、あと、文字の大きさくらいかな?って思う。やっぱり、おっきい声で喋りたいときと小さい声で喋りたいときがあるように、大きい字で書きたいときと、小さい字で書きたいときはありますわな。
って思ったら、fontタグも使えねー。マンドクセー。
とりあえず、ボールド、イタリックは使えるみたいなんで、強調したい文章には、使ってね。
<使用例>
<i>石原知事は</i>
<b>クビだ!</b>
石原知事はクビだ!
↑別に思ってませんよ。
リンク大杉!で、コメント煩雑になってしまう予防策、ってのは怪我の功名やね。しかし、targetタグ入れれんってのは、痛いよ。
確かに、第3稿から始まるってのは、意味深やね。第3稿も青空にあるから、そっちからやってもよかったかね。
あ、ついでに、このコメント欄、ポップアップで見難いし、サイズ変更もできない!
って思ってたら、全画面表示は出来るみたいです。
お手元のF11を押せば、少し見やすくなるかも。
レス遅くなってスマソ。風邪でアボンしてました。季節の変わり目で流行ってるみたいですね。suganuma氏もお気をつけください。
言葉・文章ともに聖なるものっていう感じ、把握しますた。僕のもともと持ってたイメージとはパラダイムが違うんやね。結びつかんのも当然か。
>>白川さんも、網野さんも、その当時、常識を覆した考えって言われていたのに、その何十年も前に、その片鱗を折口さんが書いてる
こういうパラダイムの萌芽が折口さんにあって、白川さん・アミノ酸らで結晶化したんかなあ。白川さんの「口はくちにあらず、神への言葉を容れる器なり」っていう論は、すごく面白いね。
>>文字の発生って、長を務めるひと(国王や天皇や領主とか?はたまた教祖とかね)に必要性があって、発生していったもの
激しく同意!
>>日常的に扱われる散文の文章としての存在理由がなく、世代的な記憶の必要性が無かったんじゃないかな。
把握!
>>「繰り返しによって」っていうのは、民話の口承伝達的なものじゃないかな?って思った。(なんとなくね。勿論議論の余地大有り)
お言葉に甘えまして参ります。これね、さっきの流れからいくと、「繰り返しによ」る言葉が民話に入るのは少しだけ時代が降ってからの事のように思います。テクスト本文と、さっきのsuganuma氏の解釈からすると、「律文發生の原動力」たる「自然な動機」というのが、「かみごと」にあるなら、「かみごと」自体がはじめから「うた」のようなもので、だからこそ「覚えやすい」という理由で自然に保存されることになった。で、どこに保存されたかっていうと、初めは巫師らの集団における口伝。少し降ると「語り部」とかっていう専門集団の内部かなあ。
初めのころに口承伝達やったのはOKとして、「民話」ってとこね。
それと、テクストによると「繰り返しに憑つて、成文と同じ效果を持つたものが多い」ってことは、繰り返しのある文章=律文と、「成文」は別物じゃないんかなあ。だからといって「成文」がどういうもんや、っていうのはよくわからんのやけど、suganuma氏のテクスト解釈(「長を務めるひと」の必要性のあたり)からは、法律に代表される決め事みたいなもんの記録ってのがイメージされました。
それでもやっぱ、「成文と同じ効果」ってのがどういうもんかがわかりません!
ちなみに、さっきの話の前提に「かみごと」=「巫師の神憑りの際に、巫師の口を通して発せられた言葉」っていうのがあるんやけど、それでええんかな?
そういえば、政治の「政」は「まつりごと」で、「祭り」と親和性あるよね。
p.s.html版㌧クス!
あ!それと、資料として関係あるかもっての張っときます。
イメージ作りに寄与してくれそう→ウィキの「祝詞」
実際の祝詞の本文→祓詞(はらえことば)
読んでみると、雰囲気わかる気がするよ。律文て感じ。
ぼくも、このブログ作ったとき、風邪ひき始めでした。でも、悪化せずになんとか。akira氏もこれ以上悪化せぬよう、ゆっくり休んでください◎
そんで、ずっと、取り急ぎだったんで、ここで改めて今までのことでコメントしてみます。(長くなります。スマソ)
----------------------------------------
第一段落
折口さんは、今ある文学の本質と目的ってどういう風に見てたんでしょうね。
素直な読み方として、今後、日本文学の発生は、単純に考えられるようなもんじゃないよ、ってのを意識しながら読みましょう、って始まりですよね。
とりあえず、導入としての段落なんで、議論の余地は余り無いと思います。とりあえず、イメージを膨らませましょう、って。
* * *
第二段落
>※「似た事」=「遠い原因から出たものが、次第に目的を展
開し、偶然にして、現在の形になった事」
って、別解釈をカキコしたけど、今考えたら、同じことじゃん!って思いました。ここ、そんなこだわらなくてよかったね。
*
申し訳ない。ここで、もうちょっと自分の意見を押させていただきます。
「繰り返す」ことが、どう「成文」に繋がるか、ということです。
繰り返し、っていうのは、韻律の繰り返しではなく、口承伝達を繰り返し行うってことだと思います。
(本文より「ほぼ」引用)
※繰り返しの必要のない、散文の形をとる、日常会話。
※古代生活に見えた文章の、繰り返しによって、成文と同じ効果を持ったものが多い。
→※つまり、日常会話が文章になりえなかったのは、繰り返されなかったから。
古代の文章は、繰り返しによって、次第に「文を成す」ことができたものが文章になった
(律文を保存し、発達させた力はここにある。)
ついでに、奥の手、4段落目頭に、「わが国に繰り返された口頭の文章の最初は、叙事詩であった。」とある。
これらの「繰り返す」が同じ意味合いを持っているかは確信していません。繰り返し人と人との間を口によって伝えられるときの「繰り返す」だとしたら、日常で同じ会話を繰り返す必要はなく、多くの人が繰り返し伝達をした会話は文章に近くなり、繰り返し伝達されることによって、韻律のある文が出来上がると解釈できます。
文章を成すときに、散文にはならなかった。繰り返される散文形式の日常会話が、その繰り返されることによって、次第に律文形式に文章化されたのでは?
だから、発達させた力は、ここ(繰り返しによる成文と同じ効果)にある。ってことじゃないか?
でも、ぼくは、その力が「単に要求」だけであった。の要求がどこに繋がるのか、いまいちわからない。ニュアンスでは、なんとなくわかる分、文章化できない。
*
あと、ふと思ったんやけど、万葉仮名って、かなり難解そうな仮名じゃない?なんか、当て字の仕方も無理矢理っぽいし。そんで、これって、もしかして、暴走族の落書きじゃない?って思ったんよね。なんか、暴走族・ヤンキーの落書きって、「画数の多い漢字」を使いこなせたらかっこよす、みたいな感じするやん。つまり、漢字を道具として使ってる人より、その漢字の神聖性(じゃないけど、その雰囲気)を感じとってるんじゃないかな?だから口幅ったい仮説なんやけど「万葉仮名=中二病説」がここに立てられるわけやね。
まぁ、万葉仮名云々は、本文とは関係ないから、ネタとして。
-----------------------------------------
んで、今日のコメントに対するコメント。
>白川さんの「口はくちにあらず、神への言葉を容れる器なり」っていう論は、すごく面白いね。(アミノ酸ってw)
白川さんの口に関する話や、漢字の解釈は、ほんと吃驚するね。白川「と」説(「とんでも」ね!)がネットにあったんだけど、でも、白川さんの学説の一部を批判するためには、白川さんが人生をかけて調べ上げた漢字に関する資料を、全て見直さなければいけないくらい包括的な漢字論(文字論)を作った人やから、「と」であるか否かは問題にはならないみたい。(多分、ホーキングってただの電波じゃね?っていうのと一緒かな?)
* * *
>「かみごと」自体がはじめから「うた」のようなもので、だからこそ「覚えやすい」という理由で自然に保存されることになった。
ここ、ちょっと違和感ありです。前記の解釈と繋がるんやけど、「かみごと」は、繰り返されるうちに、「覚えやすい」「うた」になったんやないかなぁ。ここは、多分、解釈の違いがもたらす違和やと思うけど。
* * *
>suganuma氏のテクスト解釈(「長を務めるひと」の必要性のあたり)からは、法律に代表される決め事みたいなもんの記録ってのがイメージされました。
まさにぼくも、法律が一番イメージしやすいものだと思いました。律令文って、文章化されたもののなかで、かなり早い時期にあるんじゃないかな。
* * *
祓詞の音声発見!ここ!
そんで祓詞の大意が載ってます
これで聞くと、韻を踏む、というより、音の高低(もしくは強弱)を用いて韻律を表しているように聞こえますね。これは、日本語がその発生のときから、西洋的な韻の踏み方から離れていた。つまり、日本語は歴史的にラップには向いていなかったといわざるを得ないのかもしれない…いや、まぁ、関係ないね。
* * *
>「かみごと」=「巫師の神憑りの際に、巫師の口を通して発せられた言葉」
なるほど、「かみごと」って結構ぼく抽象的に捉えてたんよね。ん~、でも、いま、ぼくは「かみごと」に関して言及しないでおこうかな、と。今後、出てきたときに解釈を重ねていきましょう。一応、「かっこ」付きですし。
----------------------------------------------
次の段落ではまた、「似た問題」になって、「散文」から離れますね。そろそろ、5段落目くらいまで視野にいれときます?どうしましょうか?
ちゃーす!今日は早起き野郎です!
ここんとこ暖かくなってきたねえ。朝日が気持ちいいよ。
昨晩、ふとおもてに出てみたら、ふわ~っと花の匂いがしてて春を感じました。
やっぱり花はええね。桃詩でも謡いながら呑みたくなります。
ということで内容。
今回、suganuma氏のエントリで一番感動したのは「繰り返し」の解釈。一瞬、何言ってのかわからんかったけど(失礼)、よく読んでみると、なるほど納得。「文章の中での繰り返し」説は、わたくしの誤読でございました。
ここからいって、「成文と同じ效果」っていうのは、「保存されて後に残ること」やったんやね。律文は繰り返されることによって保存され、成文は記されることによって保存される。
㌧クス。かなりしっくりきましたわ~
「要求」については、「律文を保存し、發達させた力」=「要求」でいいんでないかな。
テクストに補助線引きながら参りますと、(ちょい長いけどごめん。)
律文を保存し、發達させた力は、此處(繰り返し)にある。けれども、其(律文を保存し、發達させた力)は、(律文を発生させたものではなくて、発生させた後に保存させる)要求だけであつた。(だから繰り返されたということ自体は、)律文發生の原動力と言ふ事は出來ぬ。(そもそもの初めに)もつと自然な動機が、律文の發生を促したのである。
で、それが何かと言うと、「かみごと」ちゃうんかなあ、という流れでせうか。
これ見て、ふと思い出したのが、最近読んだ進化論のお話なんよ。進化論(ダーウィニズム)は進化のプロセスについての議論展開で、生命発生の起源については何も語ってないんやってさ。(そやから教会も一応認めることができるみたいよ)
宇宙然り、生命然り、文学・文字も然り、「起源」についてのお話は、いろいろな研究があるけど、難しい試みやね。同時に惹かれもするけど。
そういう意味で、「と」説も立つんやろうし、テクストで言えば、こういう意識の下に、ちょっと先やけど「蓋然」って言葉も出てくるんやろうね。
あー、何か文章変だ。ごめん。
>>「万葉仮名=中二病説」
これは「中二病患者は、敏感にも文字の神聖性を感じていて、その意味で文字の本来性に立ち返った在り方をしている」、っていう「中二病の復権説」として受け取ってええんやね?w
閑話休題。
日本語の韻っていうのは、5・7調が有名やけど、拍で付けるもんみたいやね。中国では、脚韻踏んだりとか、
高高低低中 低低高高中 高低高低低 低高低高低 みたいなリズムもあるんやけど、輸入したときに馴染まんかったみたいです。これは中国語知らんとできんもんで、馴染まんで当然なんやけど、中国語できんでも漢詩は得意やっていう人らは、この漢字は高で、これは低とかっていう風に丸暗記でやりきっとったみたいよ。関係ないけど、昔の人すごいな、と。
ああ、閑話休題になってない。
日本語の韻ね。最近聞いた歌を紹介します。
強靭なること猛獣の如く
暖かなること春の日差しの如し
雨にかざせば見事に弾き
げに芳しきはこの香りじゃ
(『狼と香辛料』)
漢詩を読み下したみたいな歌(っていうか実は台詞)なんやけど。これを口に出して読んでみると、韻じゃないんやけど、リズムと流れがある。これと同じものを祓詞の中に感じたんよ。
西洋・中国の韻の踏み方と異なるのは、日本語に助詞があるっていう理由からでしょうかね。
ああ、もう閑話休題とか言わんとこw
とにかく今回の議論で、第2段は把握しました。というわけで、
>>そろそろ、5段落目くらいまで視野にいれときます?どうしましょうか?
桶です!今から読んでみます~(*'-')ノ
ここんところ自らの歩み寄りがなかったような気がして、自省いたします。2段落目までは、ほぼおっけいということで、とりあえずレスを。
----------------------------------------------------
>テクストに補助線引きながら参ります~
要求の解釈、わかりました!しっくりですね、まことに。㌧㌧☆
>ダーウィニズム云々
ものの起源の規定って、宗教とかは得意だけど、わりと、理論の必要性の高い学問では、断言を避けるようなイメージあるね。
なんか、「そこまで言えるんやったら、断言してまえ」的いじらしさを感じるときがある。それに比べて、各種メディアは、「そこまで言っていいの?」ってことが多いね。多分、丁度良いのはその中間なんでしょう。いつでも、そうですよね。
結局「と」もひとつの見方で、どっちが正しいとか、ってなさそうに思います。でも、より正しそう、って基準はあるわけで、結局ネガティブなものが、ポジティブなものに飲み込まれてしまうんでしょうね。なんて思います。
***
話はずれますが、脚韻の話で、大瀧さんの面白い話がありんすよ。
日本語は、脚韻を踏むとどうしても駄洒落っぽくなる、頭韻を踏む方がしっくりくるって。
8分ごろです。
あなたがジンとくるときは
わたしもジンとくるんです
サイダ~♪
cyder '73'74'75/大滝詠一
そういや、数え歌ってのも、いわば頭韻ですし、歌合せとかで、日本人ってのは、昔っから「頭の文字を繋げると」みたいなことやってますよね。これは、仮名が一文字一音である恩恵を受けているんでしょう。アナグラムなんてのも日本人は昔からやってて、いろは歌なんてその最たるもんだもんね。
まぁ、なんの話かよくわからんくなってしまった。申し訳。
***
ここで、漢詩の朗読聴けます
また、↑では、正しく詩が表示されてないのでここを参照。
なんとなく、五言絶句の韻の雰囲気がわかるような気もしません?詩吟(上のリンクで聞けるのは、漢詩の朗読と、詩吟です。)のような、やや大袈裟にこぶしをつけるのではなく、淡々と読んでいるが、音の高低で、感情の流れをつける。
「頭を挙げて山月を望み、頭を下げて故郷を思う」は、中国語で聞いてたら、なんとも、感動的ではありませんか!なんか、雰囲気飲み込まれすぎかいね?
***
五七調についてなんやけど、ここで、
「人に好かれる」では「・ひ/とに/すか/れる」が「ひと/にす/かれ/る・」よりよく、「心に響く」では「ここ/ろに/ひび/く・」が「・こ/ころ/にひ/びく」よりいいことは、誰からも同意していただけると思う。このように空白拍を入れることで、さまざまな意味の切れ目に対応できるところが奇数拍の強みだといえる。
とあります。また、意識せずとも、しっくりくる言い回しって、数えてみたら五七調が多いんですね。(一時期、自分のブログで気分良く詩めいたものを書いてまして、ふと字数を数えてみたら、ことごとく五七調だったときは驚きました)ことほどさように、律文が自然と生まれてきた、って確かにしっくりくるような気がします。
*
ここの琉歌基礎講座を見ると、沖縄の琉歌は8・8・8・6なんですね。(厳密には、8=3+5、6=3+3)いまいち、琉球の言葉のアクセントがわからんもんで、歌の雰囲気はつかめませんが、あきらかな差異はありますね。
な~んて、ほとんど関係ない話をしてしまいました。すんません。
とりあえず、5段落目まで…なんですが、明日は、ちょいと用事があって、書き込みとか出来なさそうです。少し、時間が空くかもしれませんが、悪しからず。
↑の脚韻・頭韻の話のニコ動のリンク間違ってました。
正しくはここです。
7:30あたりからです。そんでもって、曲自体は、10:25あたりから始まります。
おひさどす~
最近、シリーズ物の小説読んでて信夫ちゃんの文章からすっかり遠ざかっておりました@野郎です。
今日は少しレスして、その後で、テクストについての軽めのノートを書こうと思ってます。
それでは早速参ります。
ものの起源の規定あたりに関して。
学問のスタイルって、大きく分けて2つあるような気がします。ひとつは演繹的なやり方、もうひとつは帰納的なやり方。こういう風にパキッと分かれるわけじゃないけど、この二つのベクトルが結びついた形で研究ってもんがあるんやと思います。それで折口さんの世界を描くやり方はどちらかというと帰納法に傾いてるイメージがあります。直感がものを言うみたいな、ね。
学問の結果と呼ばれるものが仮説の総体であるとするならば、仮説1つ1つってのは白か黒かじゃなくてグレースケールで示されるもんなんやと思います。とはいえ、仮説の是非を判断するのはその時代の周りの人たちやろうし、どうしても白か黒かの話になってしまうよね。
折口さんはその辺りに関して敏感で、自分の仮説が黒く見えることに対して自覚的やったんやろなあ、っていうのを、
>>結局ネガティブなものが、ポジティブなものに飲み込まれてしまうんでしょうね。なんて思います。
この辺りを読んで、思いましたです。
頭韻と脚韻の話、面白いね。たしかに「仮名が一文字一音である恩恵」かもしれんね。頭韻と脚韻に関して和洋の言語を見たときに、関係あるかなって思ったのは、英語が言いたい内容を文章の初めに持ってくるってことね。ここから行くと、反対に語尾は言うたら何でもいいわけで、「何でもいいならってんで韻踏んでみたんですけど」みたいなことがあったんかな、と。いやいや、もちろんこんな単純な因果関係じゃあないでしょうけどね。それで日本語はその逆ね。
そういえばsuganumaさん、いつの間にか漢詩に苦手意識なくなってますねえ。素晴らしい!
それじゃ、軽くノート書いときますよ。ちなみに本の方で「我々の祖先の生活が、」ってとこで段落かわってるので、そっちにあわせとくよ。そこんとこよろしく!
第3段
「似た問題」…これは前からの解釈でええよね。第1段の「出発点」に関する問題提起を受ける内容。
発生期の詩の内容。叙情と叙事に関して。
抒情詩の前出を主張する合理論者の戀愛動機説→これは間違い(∵第1段)
第4段
「わが國にくり返された口頭の文章の最初は、敍事詩であつたのである。」
飛鳥時代になるとすでに、律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た樣に見える。
既出論点あげてみます。
→>>抒情詩・叙事詩の前後の問題は、言葉が使うものか、授かるものかの認識の違いがあるのではなかろうか。道具としての言葉の使い方ではなく、魂のこもった神仏としての言葉。
この点、これまでの議論から納得致しました。但し、まだ僕はここまでテクスト本文から読み取れてません。
→>>この文章で語られる「文学」とは、作者の感動や情緒のことを言っているのではないか?(6節、文学としての目的が~)
6節ってどこのこと?
→>>国家意識というものは、どこまで広がっていたか疑問。
そうですね。邑々の並存→大きな邑の発生→その邑を中心にして次第に統一→連合国家みたいなもの→大和朝廷による再統一
これは国家形成プロセスについての僕の持つイメージね。「国家意識」をどのように捉えるかにもよりますね。
第5段
記・紀その他の文献について
「我々の祖先の生活が、此國土の上にはじまつて以後に、なり立つた生活樣式のみが」書かれている。
=この考えは常識的ではあるが用心がいる。
→ここには、「此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へが、まじつて居る…。
第6段
此點の推論は、全くの蓋然の上に立つのであるから、嚴重にすればする程、科學的な態度に似て、實は却つて、空想のわり込む虞れがある。
=テクストから読み取れる内容と、飛躍した推理との峻別が必要。
→この峻別はどこで定められているのでしょうか。(テクストの後段?)
第7段
そこから導かれる第2の蓋然(仮説と言い換えてもいいでしょうね)=「ある様式」は「何時・何處で、何種族がはじめて、さうして其を持ち傳へた」
ここから古代生活における「眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來との交錯状態」が明らかになるだろう。
→「ある様式」って何の様式でしょうか。
第8段
このことは文章についても同じである。
→叙事詩の発達過程における人称についての問題提起。
第9段
人称の問題は土居光和氏が初めて提起したということ。
以上。時間空いたし、キリがええかなと思って突っ走りました~
切腹!
すいません。ぼくも少し遠のいてました。オンオフの切り換えがはっきりとしない常態で、悶々中ですた。
ぼくも、軽めにレスします。主導権握らず申し訳ない●
********
>仮説1つ1つってのは白か黒かじゃなくてグレースケールで示されるもん~
ってぼくもよく思います。デジタルじゃなくて、アナログな感じ。
グレースケールって、結局白か黒かはっきりしてないから、人によって取りようが違うのね。だから、人それぞれって言ったら「逃げ」になるし、意見がはっきりとしなくなる。でも、白か黒かなんてはっきりと言うのは誠実じゃないような気がするんよね。
だから、一般論ではなく、白か黒か言っても良いぐらい、細分化すれば、その総体が思想になるんじゃないかな?って思います。
歴史を辿ることに関しては、帰納的な考え方に偏ってしまうのは、仕方がない…とか思ったけど、ぼくは、あんまり演繹的・帰納的って概念が身に付いてないみたいで、はっきりとはわからんかった。どの辺りで、感じるもんなんやろか?
********
>英語が言いたい内容を文章の初めに持ってくる~
前、森センセの英語の授業で、日本では「神奈川県川崎市川崎区小田」みたいなズームイン式だけど、アメリカでは「kamitoku, imabari, ehime」みたいなズームアウト式だって、風景の描写されてる英語のreadingで言ってましたよね。なんか、説明の仕方とかも、「基礎情報→要点」と「要点→要点に至る基礎情報」、みたいな違いがあるんかも、って思いました。西洋と日本ってのは、確かに考え方が違うな、って思わせる点って、少なからずありますよね。
あと、(古典的な)英語の詩って、今まであんまり読んだことないから、頭韻・脚韻に関しては、云々できないですねぇ。トレインさんは、詩人でもあるみたいなんで、今度聞いてみようか知らん。
*******
>漢詩に苦手意識なくなってますねえ。
とんでもないですう!でも、雰囲気は感じ取れるってのは、日本人であって良かったなあ、とは思うね。
それでは、本文に入ります。よろしくお願いいたします◎
------------------------------------------------------------------------
第3段
要約乙です☆
この段落、ぼく面白いな、っておもったんです。想起された疑問点を挙げると。
※当時の合理論者が、抒情詩の前出を主張し、しかもその理由が「恋愛動機説」であるということ。ぼくが思うに、今の合理論者(合理主義者と同義とすると)は、まず主張しないでしょう。この頃の合理論者ってのは、どのような人で、どのような考え方をしていたのか、気になりました。
※(レスでは、第4段のところにされていますが、6節というのは、この段の6文目「其上、發生時に於て既に、ある文學としての目的があつたらしく考へるからの間違ひである。」のことです。)つまり、文学の目的のひとつ(ある文学としての目的)は、恋愛を動機にするような、叙情的な面ということですね。この「文学の目的」がどこまで通用するか分からないが、感覚的に捉えられる「文学の目的」の折口解釈がこの辺りから、読み取れるのではないか?という期待。(流石に、祓詞とかには、叙情的な面って入ってないよなぁ。)
第4段
多分、「万葉に表れた~居た様に見える。」ってのを、厳密に注釈していけば、折口学に少しずつ近づくんでしょうな、って思いました。たしかに、万葉集って、その当時、脈々と受け継がれてきた「文章」たちを総覧する、当時の最高峰への達成の歌集であったようなイメージはありますね。
>>国家意識がどこまで広がっていたか?
というのは、まさにアミノ酸の本に書いてあったことで、そこから引用すれば良いのですが、諸事情により、今出来ない状態。ごめんなさい、後日致します。
とりあえず、日本って国名が出来た時期自体が、持統天皇の時期で、しかも、天皇が勝手に名付けただけで、各地方の邑では、そんなのはお構いなしだった。みたいなことが書いてあったと思います。
まぁ、文章には直接関係ないですね。知的好奇心として。
第5段
ぼくは、まさに、ネガティブなものがポジティブなものに飲み込まれてしまう、ってことだと思いました。(この辺の歴史感覚って素晴らしいな、って思います。)
謂わば、「文献に残らずに、記憶から消えてしまった文化も考慮しようね」ってかなり強引だけど、こんなことですよね。
第6段
もしかして、この辺が、折口さんは、演繹的よりは帰納的って感じる所なんかな?
「科学的態度」ってのは、謂わば、仮説から演繹的に導き出す仮説に、段々と空想が混じってくるってことなんかな?そんで、文献の遡れるところから仮説を導き出すってのは、帰納的やんね。
>テクストから読み取れる内容と、飛躍した推理との峻別が必要。
この段落の最後、ぼくは、「テクストから読み取れる内容と、その内容から導き出せる仮説を、検証しよう。」という風に読みました。つまり要約すると、前述、演繹・帰納の方法の違い、という段落。如何?
第7段
>「ある様式」って何の様式でしょうか。
ここ、ぼくもよくわからんかった。
抽象的すぎて、もっと「具体」を書いて!って思った。もしかしたら、ここらへんが第3稿では補足されてるんかな?とか思ったけど、どないでしょ。
ぼくが、ふんわり思ったんは、(今ある様々な文章の様式の中の)ある様式。つまり、それぞれの文章形態には、それぞれの起源を、蓋然的に導き出せるんじゃないか、っていうことです。
そんでもって、「眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來との交錯状態」って考え方、ぼく好きっすね。謂わば、この島国の住人が文章を形成し始めた過去からの真の「記憶」と、天皇が伝え続ける日本形成に関する現在の歪められた「記憶」が交錯してる、ってことですよね?(ちょっと大袈裟に書きましたが)ちょっと、左翼っぽすぎる解釈かな。
第8段
全く、人称についての問題提起、ですね。
この文章の初出は1924年。そんでもって、叙事詩的な人称の問題というと、「私小説」とふと思いまして。丁度、その創成期と重なってるんじゃないかな?と思いました。
第9段
土居光知(wiki)
>その『文学序説(1922)』は文学研究者の必読書だった。
土居光知 の検索結果 約 4,810 件
折口信夫 の検索結果 約 154,000 件
当時は、土居さんの方が権威だったのかな?と思いました。
「立場は別にしているが」、きっと、土居さんの立場は、消えてしまったんだろうな、と思いました。まぁ、なんとなくね。数字は、センチにさせるなぁ、とか。
--------------------
とりあえず、ぼくもぶぁーっと書かせていただきました。軽く書くつもりが、結構時間かかってもうた。悪しからず。
今日のタモリ倶楽部見逃してもた。なんか、頭がサワサワします。なんでやろ。お風呂入ってきます~。おつ~☆
最近、水泳・バスケとスポーツマンシップに則っております@健康野郎です。
悶々中乙です、ってどないしたんよw
悶々としてんの?
------------------
内容入ります~
レスを拝見した感じでは、大枠はお互いに一致してそうやから、本日は細かいところを摺り合せるような形で参ります。そやから今回は、反論・疑問多いよ!
それから帰納の話をちと詳しくしときますね!
------------------
第3段
※合理論者について
今の合理論者と当時の合理論者の違いってのは、発想がござらんかったです。
というのも、恋愛動機説的な考えっていうのは、現代に生きるぼくら自身の中にあってもおかしくないような考え方だからです。
恋愛動機説のような考え方を、ぼくはあまりしないけど、たとえば医学部あたりの人たち(悪く言うわけじゃないけど人間機械説なんかと親和性が強そうってことね)に詩の発生を論じさせたら出て来そうではないですか?
つまり、折口さんが乗り越えようとした常識論は今なお根強いものとして存在していると、僕は思って、それで現在の合理論と当時の合理論は地続きなんじゃないかと考えたわけです。
けど、これはあくまでも印象ね。(ついでに「医学部あたりの人」に対するイメージには矯正が必要かもねw)そやから当時の合理論者ではなく、まず逆にsuganuma氏のイメージする「今の合理論者(合理主義者)」がどういう考え方をする人のことを言うてるのか知りたいです。
kwskキボンヌ。
※3段6文・文学の目的について
「6節」どこか把握しました!「文学」の定義は、とりあえず保留w
しかし、たしかに期待。
第4段
この段落読んで、最初に違和感があったのが、1文目と2文目のつながり。ここちょっと飛躍ないですか?補助線引けないorz
一応、拙いのを御眼汚しに書いてみると、
わが國にくり返された口頭の文章の最初は、敍事詩であつたのである。(そして、時代を降ってみると)日本民族の間に、國家意識の明らかになりかけた飛鳥朝(592年~694年)の頃には、早、(6世紀後半~7世紀後半に編まれた)萬葉に表れたゞけの律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た樣に見える(=ある水準までの律文形式が固定されてあったのは飛鳥朝以前である)。(だから記・紀に書いてあることは、「国家」というものができてからのお話というわけじゃなく、内外のものが混在している可能性があるということを次の段落で述べる。)
という感じなんかなあ。けど飛躍しとる気がします。ちょいとここ御批評願います。
あと万葉集と記・紀の詳しい知識が欲しいね。
第5段
>>此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へ
あるいはちょっと飛ぶけど、
>>眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來との交錯状態
こういうバザール的な時代って、suganuma氏も言うように魅力ある気がします。今の時代も、ある意味そうなんかな?
って後から二人の解釈の違いがここに出るわけですが。
>>まさに、ネガティブなものがポジティブなものに飲み込まれてしまう、ってことだと思いました。
これはネガティブ=見えにくい考え方、ポジティブ=素朴で思いつきやすい考え方で、折口さんはネガティブな立場に立って奮闘している、って解釈で桶?
第6段
帰納と演繹のイメージはふわーっと曖昧に思ったもんやから、どのあたりで思ったってのはわかりません!
そやけど、
>>「科学的態度」ってのは、謂わば、仮説から演繹的に導き出す仮説に、段々と空想が混じってくるってことなんかな?そんで、文献の遡れるところから仮説を導き出すってのは、帰納的やんね。
っていう解釈はわかりやすいね。
>>つまり要約すると、前述、演繹・帰納の方法の違い、という段落。
桶!只、ぼくが書いてたのと違いがよくわからんのやけど。スマソ。
ぼくの解釈、言葉足らんかったかもしれんので、付け足すと、
テクストから読み取れる内容と、飛躍した推理との峻別が必要(で、そやけど飛躍した推理ってのがあかんってわけじゃなくって、これがないと研究は進みません。ただ混同しないように気を付けてネ!)。
ってな感じで読んでました。やっぱ解釈異なってる?
第7段
「ある様式」は文章についての様式だけじゃないと思います。
(古代生活における)ある様式。家の作り方だとか、狩猟の仕方だとか、婚姻制度だとか、ご飯の食べ方だとか、儀式の執り行い方だとか、文章の扱い方だとか。
という感じ。で、その中で特に文章っていう様式について、第8段から書いていきますよーっていう流れかな、と僕は思いましたです。
「第2の蓋然」が立てられた後ではっきりしてくる「交錯状態」について
suganuma氏の解釈では、「現代」における「記憶」の交錯状態ってなってるけど、ぼくは文章の流れから「過去」における「様式」の交錯状態やと思います。
眞の此國根生ひ:日本で生まれた様式
高天原傳來:海外から輸入された様式
「高天原」を「海外」って言い切るのはちょっと抵抗ありますけど、上段「此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へ」っていう一節に対応していると思ったらすっきりかな、と。
第8・9段は特にありませーん。
強いて言うなら、何で叙事詩の話で人称が大事なん?くらいやけど、これは追い追いわかってくるかなと思うんで。
-----------------------
折口さんのスタイルについて
-帰納と演繹の話の元にあったイメージ
まず「地」と「図」っていうのを。
世界を描くときには、まず下地となるものがあって、その上に形や色を描いていきます。ここでいう下地=「地」で形・色=「図」ね。折口さんは古代の世界について描こうとしたわけやから、まず「地」を用意せにゃならん、と。古代の世界については様々な研究がなされているので、普通の研究者は既成の「地」を使って描き始めます。
しかし、折口さんは既成の「地」に満足しませんでした。そこで勇敢にも「地」を作るところから始めたのです。そして彼にはその能力がありました。その能力とは人間の知的傾向の1つである「類化性能」です。
折口さんの言葉では、人間には「別化性能」と「類化性能」という2つの傾向があります。「別化性能」とは物事の違いを鋭く認識してそれらを分離しておこうとする知的傾向です。これに対して「類化性能」とは表面的には違っているもののあいだに、共通性や同質性を見出して、それらをひとつのものとしてとらえようとするものです。(「類化性能」と「別化性能」については『対象性人類学』中沢新一)(っていうかここはこの本の1節をまとめましたw)
彼の能力というのはこの「類化性能」のことです。このアナロジカルな思考によって、彼はさまざまな現象の内部に隠された連関を発見していきました。
帰納っていう言葉には、狭義の帰納法・アナロジー・アブダクションっていう3つの種類があります。
wikiを引用すると、アナロジーは
前提1 aはPである。
前提2 bはaと似ている。
結論 (たぶん)bはPである。
で、アブダクションは
前提1 aである。
前提2 Hと仮定すると、aがうまく説明される。
結論 (たぶん)Hである。
(wiki帰納法)
アブダクション的発想は(ある程度ですが)堅実な考え方だし、これを考え方をする研究者は多いと思います。読んでいてすごいなと思わされるときには、この発想が綺麗に用いられていることが多くあります。
対してアナロジーは、危険が多い。というのもアブダクションの正誤判断には、うまく説明される内容について、その論理構成を判断すれば大体のところ合っているのに対して、アナロジーは前提の2つ目となる似ている具合、それがどのように似ているのかについて判断しなければいけないからです。
「蓋然」について折口さん自身語っておられるように、「實は却つて、空想のわり込む虞れがある」のです。これはアナロジーを実際にやってみようとすると、いくらでも出せることをみればわかります。例えば足があることをもって椅子を動物と看做す、とか(これはアナロジーではないかなw)
しかし、アナロジーには上手下手があって、上手くやればアブダクションより多くのことを引き出すことができます。そうやって引き出した多くのことをもって折口さんは「地」を編み上げたのです。
っていうのがぼくが持ってた帰納と演繹の元にあった話ね。けどここは空想が大いに見えるw
だからあんまし云々せんとこかなとか思ってましたw
とか思いながらも、帰納って言葉出してそれでお仕舞ってのもアレなんで、一応、言語化してみたんやけどどないでしょ。sugaunma氏のご批判を待ちます。
アナロジーの上手下手がどう判断されるかっていうところ、実は言語化できんかった。なんとなくあるんやけどね。言うたら、アナロジーをやってみた後でしっくりくるかどうか、かなあ。
これについてはお手あげだいっ!
--------------------
今回は、そやけど自分の中のモヤモヤを言語化するっていう作業を久しぶりにやったので、達成感でいっぱいですw
大阪帰るまでにこのテクストの引用してくれたところまで、できたらええなあと思います。
帰るのは多分4月入ってからなんやけど、ちょいとペース上げ気味で行けたら行こか。
お時間取れそうですか?
もし余裕あるなら、10段以降キリええところまでレジュってほしいなあ、とか勝手に思ってるんですが、如何でせうか。
もしアレなら、やりますんで言うてください。
p.s.なかなかコメできなくて、なんかいろいろやってもたけど見なかったことにしてください orz
なんとまぁ、即レス…でもないか。
とりあえず、とりいそぎ。
悶々中ってのは、しゅうかつですよ~。いらん心配ばっかしとって、ほんとに器の小ささを毎日、起きてから寝るまで感じております。
なんでー、レジュれるかどうかわからんなぁ、って感じ。現実逃避的に、ばーっとやってまうかもしれんが、期待はせずに。。。すまそ
つぁーっと読んで、第7段の解釈、全くもって、その通りだと思いました。こんな短い文章で、誤読していた自分を恥じます。自分の解釈に浸ってましたねー。すまそ。
そんでもって、帰納の話、なかなか面白いですね。アナロジー、アブダクションって、詐欺とかマルチとか思い出させますね。いわば、帰納法的仮説の立て方、ってことなんかな?って思いました。
そんでまた、「対象性人間学」を1節でまとめていただいた、ってめっちゃ乙です☆この「別化性能」と「類化性能」の話、面白そうですね。なんか、既視感のある考え方に感じました。
なーんて、ほんっと取り急ぎコメントしました。詳しくレスは、後日致します。申し訳ない。
ps 白川静さんの万葉集の本と、宮崎市定さんの七支刀の銘文に関する本を買いました。なんとなく、国文学の発生をゆっくり寄り道しながらするんもありかな、とかも思ったりします。
でも、野郎さん、大阪でネット使えんから、ここの存続は危ういんかな?
とりあえず、すっきり第1章(?)は終わらせますか。。。
おけー。では、急ぎ足でいきましょか。
んでは、これからは、原典の文章解釈を主にして、文章から派生・云々な事柄は、寄り道欄記載ということにしましょう。
それでは、おさらい。
----------------------------お-------------------------------
第3段 異議なし
第4段
飛躍というか、種類の違う命題を二つ並べた段落のような気がします。文学の黎明期における、文章の形式に対する提言をしている。
なんで、無理に繋げずに、「口頭の文章は叙事詩からはじまったし、万葉集が出来たときには、律文形式の文章はそれなりの形になってました。」って捉えてました。
いかん?
第5段
原典に忠実に、折口さんは、ネガポジどちらの立場にも立たずに、中立な視点から、見ている、、、ってそらそうですよね。
ネガポジに関する言説は、寄り道コーナーにて。それ以外、おしなべて異議なし。
第6段
ぼくは、峻別って言葉が出てこなかった。んで、ひっかかってしまったんすね。
多分、最後の文章、「ある点まで伝説を認めておいて、文献の遡れる限りの古い形と、それから飛躍する推理とを、まず定めて見よう。」ってところが問題の箇所ですね。
おそらく、「飛躍する推理」もしくは、「~と、~とを、定める」というところの読み方に微妙な解釈のずれがあるように感じます。
だが、しかし!どっちでも、この段落の解釈には大差ないので、ほっときましょう。
微妙な違いやと思うし、文章化して議論するよりも、直接話しながら議論した方が良いように思う。いかん?
第7段
全く、前述、ぼくの解釈は誤りで、野郎さんの「過去」における「様式」の交錯状態、と考えるのが、まともで素直ですね。
確かに「高天原」を「海外」って言うのは抵抗ありますね。なんとなく、第5段の1節(敷衍して引用)「日本(大和ほか)に生活が始まってからの生活様式だけが、記紀その他のテクストに載ってる」に対応して、
高天原伝来:記紀その他に載ってる生活様式
この国根生い:記紀に記されていない、真の(沢山の種族の持ち伝えがまじっている)生活様式
と考えた方がすっきりかも。。。
この第5段の最初の文章、意味は掴めるけど、意外と文章構造がややこしくて、ここらへんに、解釈の違いが埋もれてたりするかもしれませんね。
第8・9段 乙!
さて、では、恐れ多いですが、3段落くらいまとめましょうか。いけるかな?
---------------------恐----------------------------
第10段
記紀における三人称描写
記紀の中の、語部の口うつしに近い箇所は、三人称。(叙事として自然な描写)
注目すべきは、一人称であるべき叙情部分でも三人称を用いている。
→例「八千矛ノ神と妻妾との唱和」
(※恐らく、沼河比売求婚(参考1)(参考2)にて、神とその妻妾が求愛行動として、歌を詠むときに、「私はあなたが好きよ」と言やいいものを、「八千矛ノ神は沼河比売が好きよ」って書いてある。ってことだと思う。(wiki参照))
こういう三人称の使い方は、(文学が)叙事詩としての進化する過程で、起こりがちの錯乱。
面白いのは、三人称への翻訳から、諸事情によって漏れた、一人称描写が、ところどころ埋もれていること。
第11段
一人称を用いる叙事詩
神の独り言であり、それは巫覡の空想に過ぎない。
巫覡と種族の関係
巫の空想は種族の意向の上にたっているが、(形式化もしくは忘れられた?忘れかけている?)記憶の下積みが復活することもあった。
律文要素
(いたこやシャーマンなどの集団催眠状態からイメージしやすいが)、巫の狂乱時に、巫の口からでる(神の)言葉は、その心理状態から、拍子の律動が生まれる。
また、正気のときも、(言葉の)繰り返し(=律?)から舞踊が生まれる。
というわけで、神の独白=巫の言葉は、一人称かつ律文の形式となる。
第12段
巫の言葉から「神語」へ
※巫の言葉:畳語、対句、文意転換などが盛んに行われ、一時的な「口の上」の文章。
↓↓↓
種族生活の中で、「記憶の方便」の不足した言葉は消える。
種族生活に交渉深いもの(重要なもの?)は、繰り返され残る。
↓↓↓
繰り返されるうちに、無意識の修辞、記憶の錯乱も生じ、「神語」として完成していく。
--------------------と-----------------------
まぁ、こんなもんでしょうか?
大幅に、敷衍し、自分の言葉で書いてしまいました。多分、解釈のずれ、言語認識の違い、見当はずれが往々にしてはびこっていることでしょう。
がっつり、異議反論申し立ててください☆
あー、めっちゃ時間かかってもうた!
とりいそぎ、寄り道急ぎ足で闊歩闊歩。
-------------------------------------------
「哲学の道」寄り道コーナー
-------------------------------------------
と、りあえず、野郎さんコメにレス
第3段
※合理論者について
特に大したイメージなかったんすよねー。なんで、kwsk言うとなると、急に言葉がでなくなる・・・orz
合理主義者って、文化人、知識人ってイメージやったんよね。例えば、大江の健ちゃんとかが、「色恋沙汰が絶えぬのは、人の本能、習性に根付いておる。この本能から、文学ってのは、端を発したもんよ。」とか言わなさそうー、ってのが、ぼくのイメージね。
合理主義者って、そのレッテルから、かなり堅いこと言いそうじゃない!「文学は、人を愛することから始まった」とかは言わなさそうかな?って思っただけ。
そんだけです。。。
第5段
ネガポジのぼくの解釈は、ポジ=現在の解釈されうる「過去」、ネガ=現在は認識されていない「消滅した過去」です。(ベンヤミンの二分法、ネガポジのぼくの解釈)
*******
折口さんのスタイルに関しては、ぼくは、このテクストから読み取れることが出来ないんで、そうなんかー、と関心するのみです。
一から「地」を作る、またその能力があるってのは、すごいね。「別化性能」と「類化性能」をうまく使いこなせる人って本当に賢い人だなぁ、と思います。現実が、その人の「世界」に昇華できているんでしょうね。とか思いますねー。
そんで、アナロジー、アブダクションってのは、どちらも帰納法にはならないのではないか?と思った。帰納法ではなく、帰納的発想法かと。
前出、wiki引用部の結論は、仮説として、それを検証して、十分信用に値するとなってから、帰納法が成立するのではないかな?と。
しかし、発想には、飛躍を伴っていないといかん、とは思うね。地面を這いつくばっているような思想よりも、果敢に飛んで着地失敗しちゃった、みたいな思想の方が面白いから…って、こんな意見は、まったくけしからん。
ととととりいそぎ。
*************
そんでもって、ぼくの思うところ。
前述、人称問題提起と私小説の関係について(第9段)
<ブリタニカ国際大百科事典より「私小説」引用>
●1920年頃から「わたくし小説」「私は小説」という造語が使われ始め(中略)24年頃久米正雄らはより純粋な形を「心境小説」と呼び、生活体験よりも作家的心情を吐露することを重視した。
このテクストの初出は1922年。偶然かどうかはわからないが、この当時、文壇では、「人称」と「文学」の関係性は、ホットな話題だったのかな?とか思いました。ことほどさように、叙事詩の話で人称の問題が出てくるのは、時代的側面もあったのかもしれません。まぁ、思うところ。
ほんで、第4・5段と類似する文章(&白川さんの解釈)を発見しました。
<「詩経」白川静著より>
(前略)詩は叙情に発し、叙情は人間の最も本源的な要求から出ているという考えは、発生論としてこのように古くからあらわれているが、それは必ずしも歴史的な事実とはいえないようである。人びとが感情の自由を獲得するには、まず神々からの解放、具体的に言えば、その閉鎖的な氏族制の絆から解放されることが必要であった。そしてそれより以前には、歌謡は神々のものであり、神につかえるためのものであった。
ほんで、言葉が神の声っての具体例に、通りすがりの人のことばによって、「願い」が叶うかどうかを占う、夕占(ゆうけ)とかがあったらしい。
また韻文の成立に関して、のりとや神託は神聖な言葉であり、その言葉の呪能を高めるために、当時の最高の修辞が用いられた。(中略)最高の呪能をあらわすものとして歌うことを発見したとあります。
また、呪能のあることばは「ことわざ」といわれ、神の語とされた。ことわざによって、地名なども決まった。(神の言葉で「飛ぶ鳥のアスカ云々」などと言われ、アスカという地名が生まれ、さらに枕詞とかも起源となったとか)
※なんとなく、古代の文章のイメージが厚くなったような気がしませんか~?
ほんで、万葉集について。。。
「万葉集」の実年代は、662年から759年、ほぼ100年。
「万葉の世紀」と言われ、最も充実した時代であった。その前後200年は、
雄略以下倭の五王による政治的統一
↓
欽明期より推古にいたる仏教伝来
↓
「万葉の世紀」
↓
弘仁期を中心とする詩文全盛
↓
「古今和歌集」が編まれて、勅撰和歌集の時代
つまり、この500年は、万葉集に向け、胎動から激動へ、そして、万葉集を経て、沈静・優美化への時代となった。まさに「万葉」の世紀を軸としている。
<「後期万葉論」白川静著より>
そう考えてみれば、第4段の「萬葉に表れたゞけの律文形式は、ある點までの固定を遂げて居た」ってのは、なんとなしにわかるような気がします。
***********
ちょっと、引用&自分の未熟な理解が多くて申し訳ない。
なんか、最近あんまり人と話してないせいか、文章をまとめられん。あいたー。
読みにくいところあったら、すっとばして。そんで、今度呑むときにでも、ゆっくりはなしましょ☆
ほいでは~。
ちゃーす!今日は携帯をwavプレイヤー化しようと企んでいます@作業中野郎です。
昨日からPCには実にいろんな機能があるもんやということを、帰納法的に実感しています!
レジュメ乙です!ほんまに急いでくれたんやね~
祝☆「哲学の道」寄り道コーナー開設
急ぎ足っていうてもコレがなきゃ、スチュワーデスのいない飛行機にのるようなもんですからね!
いあ、最近はフライトアテンダント野郎も増えているとか。。。
なんとも嘆かわしい。。。
いえいえ、そんなことは気にしないのがジャンボジェッターのジャンボジェッターたる所以。
ああ、飛行機乗りたい。どこか遠くへ連れて行ってほしい。
飛躍違いでござりました。。。orz
さてさて気を取り直して参りましょう。
今日はおさらいのおさらい、レジュメについて、寄り道コーナーっちゅう構成で参ります。
-------------------------------------
おさらいのおさらい
-------------------------------------
第4段
>>「口頭の文章は叙事詩からはじまったし、万葉集が出来たときには、律文形式の文章はそれなりの形になってました。」
ふんわりつなげるんやね。なるほど、把握しました!
第6段
>>微妙な違いやと思うし、文章化して議論するよりも、直接話しながら議論した方が良いように思う。
呑みながらね!
第7段
>>高天原伝来:記紀その他に載ってる生活様式
>>この国根生い:記紀に記されていない、真の(沢山の種族の持ち伝えがまじっている)生活様式
ここイギあり!第5段の解釈に戻ると、折口さんの主張は、
「我々の祖先の生活が、此國土の上にはじまつて以後に、なり立つた生活樣式のみが、記・紀其他の文獻に登録せられて居る」
のではなくて、
「此國の上に集つて來た澤山の種族の、移動前からの持ち傳へが、まじつて居る」
んじゃないんかな。
そやから、記・紀その他には「眞の此國根生ひ」の様式と「高天原傳來」の様式が混在しているんやと思うよ。
で、これらを蓋然性の真っ只中ではあるが、分別していくことによって、日本で生まれた様式と持ち伝えられた様式との交錯状態が明らかになる。
つまりは「それらがどのように混在していたのか」についての地図が出来上がるってことやと思います。
というわけで、やっぱり
眞の此國根生ひ:日本で生まれた様式
高天原傳來:(海外から)持ち伝えられた様式
と思いますです。
-------------------------------------
レジュメについて
-------------------------------------
レジュメ作成、かさねがさね㌧クスです!
人が作ったレジュメを見ると、いろんな作り方があるんやなあ、と思います。それだけ見るところも思うところも違うんやねえ。
ぼくは、ともすると唯一正解の読みっていう風に考えがちなところがあって、それを目指して読み込んでいくのも大事なことやとは思っとるんやけど、読みの成否はおいといて、どこに惹かれるかってのは人それぞれ違うんよねえ。
解釈の違いが文章の読み間違いなしに起こりうるっていうことが妙に不思議です。「テクスト」をめっちゃ広く捉えて、たとえば、出来事とかも含めると、『藪の中』(芥川)的な様相を呈してきて、ああ!ってなります。
なんか当たり前みたいやけど人の作ったレジュメを見ると、毎回そんなことを思うんだよー
寄り道してもたw
それじゃ内容!レジュメに沿っていろいろ挙げてイきます!
第10段落
参考に挙げてくれたところ、めっちゃ感動してもたんですけどw
記・紀の世界はなにか惹かれます。神々の話が神々しくも人間味のある描写をされてて、「古代の人だって今の人だっておんなじなんだよ!」(橋本治)に激しく同意。
ってか沼河比売はなんてええ女の子なんやろ。(とか言うたらバチがあたりそうやけど)
で、内容。
3人称はもとの1人称語りを変換したもんで、それでも残っている1人称は神の言葉の化石なんやね。
ここは桶です。
「起こりがちの錯乱」言うてはるけど、よくあるんだよなあって言えるのがすごいw
あ、「意義の無理解」って言い換えるとなんやと思う?
第11段
「巫」って「かんなぎ」って訓むんやね。
>>種族の記憶の下積みが、突然復活することもあった
ぼくもここ疑問符付きますわ。ちょっとくわしく理解したいところですね。
「律文要素」のところは、
巫の言葉:律文
巫の動作:舞踊の元
って感じで、巫の神憑り時の動作を、普段に真似る(「繰り返す」)ことによって舞踊ができた、ってことやと思うよ。
んで、このときの言葉は、1人称で語られるもので、これが成文として残ったのが上記の「化石」なんやね。
そやけど、神憑りの際の言葉が1人称なのはまだわかるとして、律文になるってのはどんなんだろね。
第12段
「くり返し」出たね。前にちゃんと理解しとってよかった。
>>交渉深いもの(重要なもの?)
言い換えると「関係が深いもの」ぐらいでしょうか。ここは桶です。
「口拍子」っていうのは、「音便」みたいに、こっちの方が言いやすいとか、こっちの方が綺麗とかそういう感じで知らん間に変わっていくニュアンスでええんかな。
------------------------------------
レジュメめちゃわかりやすかったです~
㌧クス!すぐに摺り合わせていけそうですね。
------------------------------------
お楽しみ「哲学の道」寄り道コ~ナ~
------------------------------------
合理主義者のこと
たしかにsuganumaさんのイメージわかるw
ネガポジのこと
これってベンヤミンやったんやね!
まったく失念してました。解釈変わってくるなあ。ちょいとレス読み直してみます。
>>発想には、飛躍を伴っていないといかん、とは思うね。地面を這いつくばっているような思想よりも、果敢に飛んで着地失敗しちゃった、みたいな思想の方が面白いから…って、こんな意見は、まったくけしからん。
激しく同意!けっしてけしからんことはないと思うよ。小林秀雄さんの本がおもしろくって前から読んでるんやけど、彼の魅力は飛躍にあると思うし、飛躍のない小林秀雄なんて(ry
本を読んだり、人と話したりする中で、なぜか自分でもわからんような内容がポッと心の裡に出るときがあるよね。これは関係があると根拠なく確信できるとき。
そういうときに出てくる内容ってナマモノやからっていう理由なんかわからんけど、面白いものが多い気がします。けど僕の場合、唐突過ぎて困惑されることが多かったから、あんまり口にしないようにしようかなとか思ったり、思わんかったり。
こんなぼくを受け入れてくれる人が(ry
>>この当時、文壇では、「人称」と「文学」の関係性は、ホットな話題だったのかな?とか思いました。
前に第8・9段で、「強いて言うなら、何で叙事詩の話で人称が大事なん?」って書いたけど、こういう理由もあるんかもしれんね。
それでsuganumaさん、「私小説」って言うてたんや。たしかに興味深い話やね。
そういえば『対象性人類学』のことやけど、ぼくはあの本を一節にまとめたんじゃなくて、あの本の一節をまとめたんね。
他の内容も盛り沢山やし、能力もないので、とても一節にまとめることはできません!
>>「詩経」白川静
まったく類似ですね。もしかすると白川さんは折口さんの研究をふまえとったんかもしれんね。
今度是非読ませていただきたいです。
>>なんとなく、古代の文章のイメージが厚くなったような気がしませんか~?
します!この時代の言葉についての捉え方ってほんとに魅力的ですね。
同時に、わからん世界がどんどん広がっていって手に負えないような感覚もありますがw
万葉集のこと
万葉集の前後見るとわかりやすいですね。100年単位のプロジェクトって考えるとすごいもんです。
--------------------------
僕もとりいそぎ感丸出しで参りましたー
今回の内容についてのレスを次いただいて、然る後に摺り合わせたら、次仕舞いまでのレジュメ作りまっさ。
って勇み足杉?w
ほなね~
p.s.なんか一回投稿した気がしたのに、出てきてないよー。もし二重になったらごめんね。
急ぎのはずが、レスできず、申し訳ない!
しかも、4月3日まで、レス出来るかどうかわからん。ちょっと、ほんとすんませんね。
忙しいわけでもないんやけど、なーんかだらだらしてもうて、全く不甲斐ないです。
レスも取り急ぎ。
おさらいしますぅ。
------------------お----------------------
第7段
多分、ぼくが「海外」って解釈になにがしかの異論を唱えたくなってしまうのは、日本という国土において、どのような民族移動があって、どのような民族間の争いがあって、ある程度落ち着いた状態に辿りついたのか、ってイメージがかなり困難だからなんだと思う。
島国といえども、元々地続きだったわけだから、今の日本の国土内で生まれた人間ってのは、いないわけで、それなら、どの時期以降に、日本に移動してきた民族をもって、「この国の上に集った沢山の種族」というのか、よくわからん!ってなるのです。
あと、「高天原」を、折口さんは、日本(大和?)民族固有のものとするか、外来のものとするかの言及は、していないような気がする。
(後、時代的な背景から、天皇マンセーの時代だから、天皇は元々移民だった、っていう考えは、あったかもしれないけれど、公表できるものではなかったんじゃないかな?とも思う。)
ん~、だから、僕自身は、日本で生まれた様式と持ち伝えられた様式ってのが、イメージできないんすよね。だから、なんとなく、腑に落ちない感じがする。
もしかしたら、何度も突っかかって申し訳ないけど、ちょっと、詳しく議論したいなぁ、と思います。
第10段
どうも、レジュってたら、自分の思ったことを書くのを忘れてしまうわ。
ぼくも、「起こりがちの錯乱」ってよく言えるな、って思った。ここも、具体的な引用があったら、レジュメとしては、尚良いでしょうな。この一文の背景にあるテクストを探るってのも、一つの立派な課題になるんでしょう。
そうw「意義の無理解」ってようわからんから、レジュメで飛ばしたんよね。すまそ。
思い浮かぶのは、
・文章自体の意味(何が言いたいのか分かんない!)
・言葉の意味(「私」ってどういう意味か分かんない!)
・文章の性質(誰が語るべき文章なのか分かんない!)
・三人称から一人称に直すべき理由
とかかなぁ、って思いました。
つまり、「意義の無理解」⇒「三人称から一人称への翻訳漏れ」に繋がるわけですよね。
なんとなく、後の段落から考えると、神の独り言は一人称ってのから、(発想ってなに?)3番目が一番近いかも、って思いました。
つまり、神が自分で喋るんなら、「朕は~」、って言えばいいけど、語り部(人間)が軽々しく人称代名詞でもって、神を言及してはならん、ってことかな?って思いました。(昭和天皇が入院したときに、新聞は薬を「投与」(投げ与える)と書いて良いのか、「使用」とするべきなのでは?とか問題になったみたいよ。その感覚も今では時代錯誤となっていることでしょう。)
「意義の無理解」に関して、ぼくはなかなか断言できないんで、野郎さんの意見を仰ぎます。どない?
第11段
>>種族の記憶の下積みが、突然復活することもあった
って、「あー、そんなんもあったんか」ってあんまりつっかからなかったですね。イメージはついても、正確に読み取るのは難しいですね。
「古くなって忘れ去られた種族の意向(思想?文化?様式?)が、突然復活する」ってことよね?
イメージとして、廃れたまつりごとが、突然復活することかな?って思ってました。
神憑りの律文ってなんとなくイメージついたんやけどなぁ。
いたことかって、感情を込めずに、変な抑揚を付けて喋ったり。イメージとして(すっごく差別的な発言になるかも知れんけど)、精神病の患者とかって、感情を込めずに、リズミカルというか、一定のテンポで言葉を喋る気がする、そんなんに近いかも、って思った。
ここらへんまで、全部イメージでものを言ってるなぁ。自重します。
でも、ある程度文意はとれてますよね?肉付けって段階かな?
>>巫の動作:舞踊の元
って、そうなんかー、って思ってしまいました。
「リズムあらば、須く踊り生ず」みたいなもんかなー、って思ってました。いや、思いたかったんかな?
第12段
>>「交渉深いもの」=「関係が深いもの」
でしょうかね?
「神のことば」として、生活に頻繁に関わってくるものってことかな。
>>「口拍子」
囲碁で拍子手ってありません?(ヒカルの碁で知った)
相手の手に、つい反応して、悪手を打ってしまうこと。
なんとなく、「口拍子」って、つい無意識で、口から出てしまった言葉みたいなイメージでした。
以上!
寄り道コーナー行きたかったけど、明日朝早いんで、今度まとめて書きます。
あぁ、なんか、急ぎ足でほんっと申し訳ない。残念無念。
今回のレスちょっと酷いけど、許して念●
講談社の面接シートを頑張って書かなきゃいけないけど、今日、いっこ面接頑張ったから、予定外だけど、コメ書きます。
大した内容ではありません。追記程度に考慮してください◎
********第7段解釈********
とりあえず、第5段を再考してみました。
「我々の祖先の生活が、この国土の上にはじまって以後に、なり立った生活様式のみが、記・紀その他の文献に登録せられているとする考えは、誰しも持ちやすいことであるが、これは非常に用心がいる。」
ここで、「我々の祖先の生活が、この国土の上にはじまって以後に、なりたった生活様式」と、それ以外の様式が考えられる、と。
この「それ以外の様式」がくせもんですね。
ぼくは、てっきり、”この国土に生活が始まる前の生活様式”を想像し、生活が始まる前の生活様式???って思ってたんかも知らん。つまり、それ以外の様式ってのが、「この国の上に集まってきた沢山の種族の、移動前からの持ち伝え」た様式ということか。
ここんとこ、うっかり読めてませんでした。いや、思い込みは怖い。
と、再考している間に、なんとなく第5段の内容がふに落ちました。(意見違うとこあったら、言うてね。)
しかし、それでも!私は、高天原を海外と結びつけるのは、過言ではないか?という意見を、取り下げることはいたしません。(電話で言っていたんでね!)
「この国根生い=日本で生まれた様式」はおk。
(しかし、日本で生まれた様式、とは、どの時代の、どの種族が生み出した様式をもって、「日本」で「生まれた」ということが出来るのか?は多いに疑問符)
「高天原伝来=(海外から)持ち伝えられた様式」とするより
「高天原伝来=記紀に於ける日本で生まれた様式=海外からの様式も混じっている(歪められた歴史観のもとの)生活様式」
といくのが、厳密な解釈ではないか?と思いました。
やはり、ぼくは、「記紀における」ってのが重要かと…。
いや、しかし、この意見は、ただの頑固なんじゃねーか?って思います。
これ以上の議論は、面白くない、とか必要ない、と感じたら、もう、議論しなくて、良いところかも。
----------------------------------
おまけ
----------------------------------
書こうと思って書けなかったところ書き足しときます。
※八千矛ノ神と妻妾
この「沼河比売」って、絶対「わかってる」よなぁ。めっちゃ、八千矛を手玉にしてる感ありあり。沼川比売って、きっと器量よし、なんだろうなぁ。そんで、結婚したらかかあ殿下なんだろうな、って俗っぽいことを考えてしまった。
ほんっと人間くさいね。
ふと、思ったんすけど、例えば「聖書」や「論語」って、実は結構「人間くささ」が描かれてたりするんだけど、それが、宗教のフィルターを通して、長い年月を経ると、「人間くささ」は排斥され、ただの「聖句」「金言」のあつまりになって、面白みが半減するんすよね。
記紀って、相当のフィルターを通して、明治・大正・昭和期に研究されてたと思うんだけど、こういう「人間くささ」ってどういう風に解釈されてたのかな?黙殺されてたのかなぁ。
ふと疑問に思いました。
いや、しかし、「古代の人だって今の人だっておんなじなんだよ!」ってのは、ぼくもよく思います。未来の人もおんなじなんだろうか…
※小林秀雄のアクロバッティックな発想
小林秀雄って、ある世代の人からしたら、相当なカリスマで、意味の繋がらない文章を華麗に並べて、その発想の美しさに浸らせる。誰しも影響を受けた人だ。って、「哲学のエッセンス」のニーチェの本(なぜ同情してはいけないのか?)に書いてありましたよね。
「点」と「点」を「線」で繋げるとき、その「線」の引き方の自由度が高い方が、より個人的な印象を受ける。その「パーソナルな感動」にみんなヤラレたのかな、って思いました。
ん~、最近本も読めてなかったし、書きたいこと忘れてもうた。
すんませんが、今日は以上!
ps.江田船山太刀の銘文の内容がなんとなくわかりました。全くもって、文学とは言えない代物でした。もしkwsk知りたければ、宮崎市定さんの本から引用します。
本文の要旨からだいぶ外れてしまうため、自重しました。
レスありがとう!
僕の方も変に多忙でレスできんかった。スマソ。
ちょっとずつ時間空いたときに一個一個レスつけていこかなーおもてます。
ということで内容。
--------------------------------
沼河比売の話、かなり同感w
相手を転がしつつ、しかもええ思いをさせるっていうくらい「わかってる」っぽい気がするねえ。
男が自分がええと思うようにやったら、実は姫の思惑通りみたいな、レベル高いかかあ天下みたいな、ね。
めっちゃ好みw
ああ、けどちょっと怖いかなあ。
意義の無理解について
これは「話法についての無理解」ということで、3番目が近い気がします。
叙事詩ってのは「起こったことを客観的に記述した文章」。
そういうとき、初めは間接話法が主流になります、たぶん。
客観的な文章を書こうとした初期に、かぎ括弧は使わんと思うから。
(折口さんはこのことを「敍事として自然な描寫法と思はれる三人稱」言うてはるね。)
直接話法の技術がまだ成立していない段階で、神の言葉を叙事スタイルに変換(=これが「翻訳」ね)しようとしたとき、それらの言葉は間接話法でもって語られることになる。
それを「話法についての無理解」、言い換えると「翻訳技術についての無理解」によって、変換から洩れた、と考えるのが、解釈として妥当かと思いますです。
様式のお話
>>「高天原伝来=記紀に於ける日本で生まれた様式=海外からの様式も混じっている(歪められた歴史観のもとの)生活様式」
っていうところなんやけど、スマソ、ちょっと「(歪められた歴史観のもとの)」っていうのがよくわからんのよ。
記・紀には「眞の此國根生ひと、所謂高天原傳來」の様式が混在してるんじゃないんかなあ。
「全ての問いは神聖な問いである」(レヴィナス)っていう言葉もありますし、「ただの頑固なんじゃねーか?」ってことはないと思うよ^^¥
江田船山太刀の銘文のこと
ちょっとネット上で探して見てみますわ。今度帰ったらその本、白川さんの本とかも一緒に見せてね。
p.s.ちょいとまとめて時間取れそうにないし、初めのルール(「煮詰めんこと!」)もありますし、ちょこちょこイきますね。レジュメはちょいとお待ちを。
p.s.2.面接乙です!がばれー!
ちわっす。今回は、寄り道だけ、ということで。というか、野郎さんのレスとして、短めに。
「煮詰めぬように」というルールを作っといてよかった。やっぱり、議論が進むに従って、「煮詰め」てしまうね。
まぁ、喜ばしいことよね。議論するほど、閑散としてくるのは嫌やもんね。
どうも、講談社面接しました@すがぬまです。
いやぁ、講談社の面接官(多分編集長)めっちゃよかったよ。
すんげいの、まったく。
小生の、偏った知識をことごとくカバーして、造詣深すぎって感じ。やっぱり、抽象的な話とか通じるしね。
弟子入りしたいなって思ったぐらいよ。
ついでに、面接で読書会のことに触れたら、「随分教養のある写真部ですね。」って言われました。確かに、ほんとそうよね。
良い経験しました○
---------------寄----------------
>意義の無理解
誰が喋ってるのかって、現代人でも、文章読んでて分からなくなることって多いと思う。
敷衍して言えば、「この文章の主語ってなんだっけ?」って分からなくなることってよくありますよね。
そのイメージから言って、結構すんなり、「人称の翻訳漏れ」とか「一人称の化石」とかイメージできたから、「意義の無理解」は、改めて考えると、言葉につまるところがありました。
そういや、英語で直接話法と間接話法の変換って、理解するというより覚えた記憶があります。
それで結構ややこしく感じたなぁ。(まぁ、学習のときには形式的で、実際使われるのは、分かりやすいものなんだろうけど。)
多分、直接・間接話法のやりとりって結構高度なんでしょうね。
>様式のお話
えーっと、歪められた歴史観のもとのってのは、日本の創成期を語るのに外国の様式(しかも、当時日本では行われていなかった)が登場するのは、明らかに歪められてますよね。とか、そういう説明ではなく?
ぼくが疑問に思っている点は、「この国根生い⇔高天原伝来」から「日本⇔海外」って導くことは出来るけど、単体として、「高天原伝来=海外」とはどうしても結びつかない点にあるんよね。
高天原っていう言葉は記紀以外では、ほとんど記述されてないらしいんよ。(wikiより)
やから、日本の起源=高天原っていうのは、記紀のことを表していると思う。
というわけです。
------------------
ちょっと、野郎さんの総括レス待たずに、書いてしまって申し訳ない。
混乱を招くようなら、なお申し訳ない。
しかし、書かずにはおれんかったわけよ。一種の業かね。
ほなまた。おやすみなさいノシ
コメントを投稿